「知ってる?シナモンの香りってさ」 目の前の男は突然そう切り出してきた。 確かにあたしが今食べてるのはシナモンのシフォンケーキだ。だけどだからって脈絡もなく話ふられるはちょい困る。ついでに言うなら興味のない話ならなおさら困る。雑学語られても返事しづらい。 ……まあ、この男の事だからどんな内容かは大体予想がつくからまだましだが。……興味はないが、返事には困らないだろう。あたしはフォークでケーキを切り分けながら無表情で彼の顔を見た。 「恋を引き寄せるんだって!なんかいいよなー!」 「…………ふーん」 やっぱり出たか。表情は変えず、あたしはケーキを口に運んだ。 『恋』……これは目の前にいるあたしの友人、前田慶次の常套句だ。慶次は人が誰かを恋慕うシチュエーションが好きで、悪気はないけど他人の恋路に堂々と割って入るある意味有害なやつ。非公認ながら『恋愛向上応援部』なんてものを作るくらいだ。恋バナ好きはその辺の女子高生顔負けだったりする。 そんな男とどうして一緒にいるかって?……ただの偶然。別に特別仲良いわけでもないし。喫茶店でのんびりスイーツ堪能してたら人多くなってきて、相席頼まれたから承諾したところ慶次がやって来た。それだけだった。 気がつけば同じケーキ頼んでるし、しかもなんかめっちゃ話しかけてくるし、あたしの優雅な休日はものの見事に崩れ去っていた。 「ななな、ちゃんはさ、誰か気になる奴っている?」 「んー、ある意味気になるヤツはいるかな」 「マジで!?ちゃんもやっぱ女の子だね〜〜♪」 正直恋愛に興味がないと言ったら、この男、三割増しで五月蠅くなる。 だからこそ曖昧な返事で適当に返すのが一番面倒じゃなくていい。勘違いするのは相手の勝手だ。 あたしはミルクティーに砂糖を加え、かき混ぜながらMP3を弄る。肩耳だけ付けたイアホンからは最近気に入って聞いている洋楽がエンドレスリピートで流れていた。その間も慶次はなにやら熱い恋トークを繰り広げているがオールスルー。 しかしながらこの男、実に面倒臭い。いい加減こっちからも話題をふらなければ「ちょっと、聞いてる?ちゃん!」なんて女子高生のような事を言ってくる。非常に面倒だ。あたしは慶次の会話が途切れるタイミングを見計らい、繋ぎ程度の話題をふってやる。 「そういう慶次はどうなのさ。いるの?好きな子」 「Σえっ!!?お、おれ??」 言った後、慶次の反応を見て思い出した。 慶次は他人の恋やらにはやたら詳しいが、自分自身は進んで誰かを好きになろうとはしない。 なんでも昔初恋の子が交通事故で亡くなって、以来心底誰かを好きになるということができなくなったんだとか。こいつの親友たる秀吉からの情報だからこそ信頼はある。そしてどうやら本当らしい。果てしなく高かったこいつのテンションが突然坂道を転がり落ちていくかのようにだだ下がっている。これを見れば一目瞭然だ。ああ、やっと少しは落ち着いたかと私は紅茶を飲んだ。 すると慶次はフォークを置いて、視線はケーキのままため息交じりに答える。 「それがさぁ……いないんだよね……」 口元は少し笑って、だけどどこか悲しそうな表情だ。慶次にしては珍しい。 と言うかむしろうっとおしい。普段のあのテンション高い方がうざくないってどんだけだあたし。 言ってしまったものは仕方がない、延々目の前で底なし沼にはまったかの如く沈んでいく慶次を引っ張り上げてやらなければならない。 ……あぁ、なんであたしがこんな目に。半分流し聞いていた話題を何とかサルベージし、あたしは口を開く。 「じゃあさ」 一息置いて、フォークを手に 「引き寄せてもらえば?シナモンに。二人分」 そのまま一口大に切ったケーキを突き刺し慶次の口にぶち込んだ。 突然のことに驚きながらも慶次はとりあえず口に叩き込まれたケーキを食べる。 珍しいものを見るような眼であたしを見ているが、それはあれ?あたしが人を慰めるのが珍しいとかそんなことなんだろうか。だとしたらちょっといらっとする。少し睨んでみると慶次ははっとした表情で慌てて口の中のケーキを飲み込んだ。 少し喉につっかえそうになったのかそれをコーヒーで流し込み、呼吸を整えた後にあたしを見て笑う。 「そー、だね……うん、それいいかも!ありがとちゃん!」 慶次はぱぁっと、(これ男相手に使っていいのかわかんないけど)花が咲いたような笑顔をあたしに向ける。 まあ元気になってくれたのは有難い。あの調子で目の前でうじうじされていたら下手するとあたしの堪忍袋がリミットブレイクするところだった。元気になった慶次は嬉しそうにまた恋バナを始めるがあたしは再びスルースキルを酷使してのんびりとケーキを食べる。 (ほんとに引き寄せられるのかねぇ……) 一口大にケーキを見つめながらそこでふと、考えてみる。 ケーキを頼んで、人が混んできて、それから慶次がやってきた。 シナモンが引き寄せるのは恋と、目の前のこの男は答えていたが…… (……まさか、違うよね……) とにかく今はこのケーキと美味しい紅茶を堪能し、目の前の男の戯言に相槌でも打っておこう。 (ちゃんきっと気付いてないだろうなぁ、間接キス) |