ソリティア









レポート締め切りまで後1週間を切った。
腐れ縁の知人曰く「資料少ねぇし面倒臭ぇ」らしいが、我の中ではすでにそんなものは終わっていた。
レポートのテーマが出たその日に草案を作り上げ、資料をゆっくりと整理し、文字数を調整しながらパソコンでそれらを纏めるだけ。簡単で、単調な作業だった。
他の講義の物も並行して作業していたためまだ纏めが書き終わっていなかったが、それも先の講義内で下書きが完成。後は打ち込むのみだ。
家でしても良いのだが今の時間は電車が酷く混む。我はあの息苦しい空間に長時間居続けることに耐えられない。……打ち込み程度ならすぐに終わるし、時間を潰すのにも丁度良いだろう。荷物を纏めて情報処理室へ足を進めた。


階段で二つ下の階へ。


時期が時期ゆえか人が多い教室ばかり。あまり人がいると騒がしくて気が滅入るからと人が少ない教室を探した。
すると不自然なほど席が空いている教室があった。中を覗いてみた限り作業をしているのは1人のみ、これは運がいいとその部屋へ入った。
電源を入れ、ワードを起動。
先ほど書いた下書きを見つつ、纏めの項目を打ち込み始めた。
キーボードを叩く音が部屋の中に響いていた。





 * * * 






打ち終わって時計を見ると、あまり時間はたっていなかった。どうやら予想よりも早く終わってしまったようだ。普段ならこういった計算違いはうれしいものだが今回ばかりはそうはいかない。まだ電車は混んでいる、だからと言って我に良い暇潰しなど無い。
(……仕方がない。駅で待つか)
諦めてパソコンの電源を落とすと、荷物を整理して席を立った。


――偶然、見知らぬ誰かと目があった。


それは我がこの部屋に来る前からいた『もう一人』だ。この時やっとこれが女だったことを知ったが、何とも奇妙な女だ。何故かこちらをずっと見ている。
(……気まずい)
正直そう思った。この女、何故か目をそらすことが出来ない。しかも体中固まってしまっているかのように動かない。どう例えればいいか……強いて近いものを挙げると、土砂降りの雨の中捨て猫に傘を譲って走り去っていった伊達の姿を見た時と似ていた。
この状況が長く続くのは精神的に悪い。何かを話そうかと思ったが何を話せばよいのやらわからない。なぜ我を見ていると睨めばよいのか、それとも何をしているのか聞いてみればよいのか。脳内をさまざまな会話パターンが駆け巡っていく。
が、

「あのさ」
「ぬぁっ!?」

声をかけられた。しかも驚いて変な声が出た。
女はこちらを見たまま口元を押さえると、小さく吹き出し、後に腹を抱えて静かに笑った。
笑われると異様に羞恥心が高まった。笑うなと言ってやりたかったのだが声を出すことができなかったので代わりに睨み付けてやると、女は何とか笑うのを止めた。(それでも完全には止まらず、小さく肩が震えてはいた)
ある程度落ち着いたのか、深呼吸をすると女は我に満面の笑顔で話しかけてきた。

「あ、やや、ゴメンね?なんか反応可愛かったからつい……ふふ」
「だからと言って人の顔を見て堂々と笑うな!!」
「だからゴメンって……許してよ、ね?」

顔の前で手を合わせて笑う。
その何とも能天気な笑顔を見ていると無性に腹が立った。が、同時に呆れたような感情も湧いてきた。しょうがなく許してやると女は我の手を勝手に握り、嬉しげに礼を言う。変な女だ。
しかしながら、初対面であるにも関わらずこれだけ話せるというのも珍しい。時間もまだある。
暇つぶし程度にこの女に付き合ってみるかとそう思った。

「……時に貴様。我より先に此処に来ていたようだが何をしている?」
「あれ?そうだったの?……まぁ、大したことじゃないんだけど……ちょっと」

そういって女は手招きする。
言われるがまま女の隣に行くと、女が起動しているパソコンの画面を指差して苦笑した。
見てみるとそこに映っているのはレポートでも何でもない。ゲーム画面。
赤黒赤黒と数字とマーク、トランプが交互に並べられており、右上にはそれぞれのマーク毎に分かれている。

「これは……?」
「ソリティアだよ。パソコンのゲーム。これがクリアできなくてさぁ〜〜」
「簡単そうなんだが」
「甘く見ない方がいいよ。これでもこいつ、あたしを33回は負かしてるんだから」

その言葉に一瞬思った。この女、馬鹿だ。
負け続けていることもさることながら、33回も続けていたことの方に驚きを隠せない。
普通ある程度負けを重ねたら諦めるもの、もしくは対処法を見つけて早々に勝ち方というものを見出すものだと我は思った。この女、よほどの馬鹿で負けず嫌いなのだろう。
すると女は我の方を向き、肩に手を置いて、

「あのさ、ためしにやってみて?」

そう言った。
自分が勝てないその理由を実際にやらせてわからせようとでも思っているのだろう。
我は一度時計を見る。まだ十分に時間はある。
駅で待つよりかはましだろうと思い、我はこの女の挑戦を暇つぶしにすることにした。

「いいだろう、貴様との違いを見せてやる」





 * * * 






「ぬぅ……」
「……やっぱり、勝てないんだねぇ」

予想外の敵だった。
2敗の後、我は運よく――今ならばこの言葉を当てはめるのがふさわしいと思えるほどの――勝利を手にした。が、その後の女の挑発「すごいね!でも連勝記録、伸ばせるかなぁ」を真正面から受けて止めてしまい現在に至る。
プレイ回数は二人で交代にしているものの合計40回を超えただろうか。連敗回数は伸びに伸び続け37回。元の数字を超えてしまった。
そして

「あーーーーーーー!!!また負けたぁ!!」
「38敗目だな」

記録を塗り替えてしまった。
何とも無様なものだ。高々パソコン内のゲームごときにこれほど見事に敗北を喫することになろうとは。女は悔しそうな表情で我に席を替わり、我は交代して新しいゲームを始めた。カードが配られ、所定の場所にすべてが戻る。我は目に付いたスペードのAを右クリック。が、

「あの、すみませーん」

知らない誰かの声が聞こえて、女ともども振り向く。
そこには温和な表情の女性が一人、申し訳なさそうな顔をしてこっちを見ていた。
そして一言。

「そろそろ部屋閉める時間だから、きりのいいところで終わらせてくれないかなぁ……」
「「あ……」」

気づけば時計は7時を過ぎていた。
我と女は急ぎパソコンを閉じて、荷物をまとめ部屋を出た。まさか暇つぶしにこれほどまで長い間熱中させられるとは思いもしていなかった。しかも負けたまま終わることになろうとは。悔しくて仕方がない。
廊下を直進、階段を下り、出口までの道を成り行きのせいか女と並んで歩いた。これと言って何かを話すこともなく、延々ただ向かうのみ。
キャンパスを出て、完全に暗くなった空を見てからようやく女が口を開く。

「いやぁ、ごめんね?巻き込んじゃって。時間大丈夫?」
「別段問題はない。……だが、まさかこんな時間まで残ることになろうとはな」

当初の帰宅時間から1時間以上の遅れを来たしてはいたが、言葉通り問題はなかった。
実家から通ってはいるが門限らしい門限も決まっておらず、食事もここで用意することがほとんど。
電車が遅延していてつい先ほど回復したというような状況があれば多少はあるだろうが。
軽く息をつき、手袋をはめる。
と、女はあ、と一言つぶやくと我の方を向いた。

「そういえば、名前聞いてなかったや。あたしは、よろしく」
「毛利元就。経営学部1年だ。まあ、覚えておこう」
「あっははは、偉そうだねぇ。ま、仲良くしようよ……あ、携帯持ってる?」
「一応」
「赤外線あるかな?せっかくだし情報交換でもしようよ」

けらけら笑いながら女……否、一応教えてもらったのだからと呼んでおこう。は携帯を取り出して弄りだした。
我もなんとなくの言葉に従い、携帯を取り出すもその機能がわからない。仕方なしにに聞くと、我の携帯を左手、自分の携帯を右手にさっさと操作していく。器用なものだと思った。
少しして、携帯を返してきたのでためしに電話帳を開くと確かに『』の名前があった。
これはなかなか便利なものだ。わざわざ互いのアドレスを聞いていた時に比べれば随分と楽だ。

「はい、なんか暇になったらメールなり電話なり連絡してね?大体あたしは暇だから」
「ふむ」

短く返事すると我は携帯を鞄に入れる。どうやら帰る方向は逆方面だったので門の前でとは別れたが、なんとなく、また何かしらの縁であうかもしれないと思った。不思議な女だった。
そのまま我は駅に向かい、なんの問題もないまま電車に乗って家路についた。













(面白い子だったなぁ、毛利さんか……)
時間は午後8時半。元就と別れてからもう一時間ほどが経っていた。
はとうに家に着き、夕食の支度にと鞄の中に詰め込んだレトルトカレーを探しているところだった。数多のプリントをかき分け、ようやく見つけたその後に、底の方に銀色に光る少なくとも普段自分が持ち歩かないようなものが入っていた。

(あれ?)

見慣れないそれをつまみ上げ、そして思い出す。
慌てて片付けた荷物と、今日出会ったばかりの友人。
……そういえば、毛利さん情報処理室にはなにしに来てたんだっけ?というかこの時期にやることっつったら……

「……あー……やっちゃったか」

どうやら、あの変わった友人との再会は近いようだ。